日曜日は、とても淡々としていた。
ふだんなら「どこかに行かなきゃ」と思う気持ちが強くなる。せっかくの休みだし、遠くまで出かけて、ちゃんと“いい一日”にしないといけない気がしてしまう。でも今回は、少し忙しかったのもあって、あまり動かないと決めた。最近は睡眠も大切にしている。休みの日に体を休ませることも、ちゃんと予定のうちに入れていいと思うようになった。
朝は教会へ行った。正確に言うと、教会に行ったのは息子だけで、私は喫茶店にいた。今日はちょっと一緒に子ども礼拝へ行きたいな、という気持ちもあった。けれど結局やめた。無理に自分を動かすと、どこかで息切れしそうだったからだ。コーヒーを飲みながら文章を書いたり、ぼんやり考え事をしたりして過ごす時間は、私にはちょうどいい。誰かの時間に寄り添いながら、自分の呼吸も整えられる。日曜日は、それくらいの距離感が心地よい。
迎えに行くと、息子が食べたいと言ったのはモスバーガーだった。相変わらず、いつも同じものを食べたがる。大人からすると、たまには別の店にしてみようかとも思う。でも子どもにとって“いつもの味”は、それだけで安心なのだろう。変化よりも確かさを選べるのは、ある意味で強い。日曜日の昼にモスバーガーは、変に背伸びしなくていい感じがして好きだ。
モスバーガーでは、いつも子どもセットを頼んで、モスシェイクをつける。ここだけは譲らない。今回のおもちゃは紙ねんどだった。おもちゃが何か分かった瞬間から、息子の目が少しだけ前のめりになる。本当はその場で開けて、すぐ作り始めたかったんだと思う。でも店内で紙ねんどを広げるのは、さすがにちょっと失礼かなと思って、「家でやろう」と伝えた。息子は一瞬だけ迷って、それでもぐっと我慢した。あの“ぐっと”ができるようになったことが、なんだか嬉しかった。
食事のあと、家に帰ってからねんどを開けた。ハンバーガー屋でもらったねんどで、ハンバーガーを作るのが面白い。丸めて、重ねて、色を混ぜて、本人なりの正解に近づけていく。完成した形が本物に似ているかどうかは、あまり重要じゃない。手を動かしている間の集中した顔や、急に思いついたように形を変える自由さのほうが、ずっと価値がある。
午後はマジックが盛り上がった。息子と一緒に『マジックのひみつ』という本を読んで、試して、少し練習して、また試す。できたら嬉しいし、ばれたらばれたで笑える。最後はお母さんを驚かせて、本人は誇らしそうだった。マジックって不思議な遊びだと思う。成功しても失敗しても、結局は家の中が明るくなる。驚かせたい気持ちと、喜ばせたい気持ちが、同じところにあるからだろう。
宿題もやった。日曜日の宿題は、少しだけ現実を連れてくる。でもそれも、暮らしの一部だ。机に向かう時間があると、遊びの時間もちゃんと締まる気がする。全部が楽しいだけじゃなくていい。少しだけ頑張ることがあると、一日が立体的になる。
振り返れば、派手なイベントは何もない。遠出もしていないし、特別な景色も見ていない。けれど今日の記憶は、意外と濃い。教会と喫茶店、モスバーガーと紙ねんど、マジックと宿題。全部が小さな出来事なのに、家族の空気としてちゃんと残った。動かなかった日曜日は、何も起きなかったんじゃなくて、家の中で満ちていた。今日はそんな一日だった。