文字の入力方法を、もう一度ちゃんと考えてみる

音声入力は速い。たぶん今でも最速だと思う。けれど、あれには最初から致命的な欠点がある。恥ずかしい。家族がいる場所で、ぶつぶつと独り言を言いながら文章を作る気にはどうしてもなれない。性能の問題ではない。生活の中での居心地の悪さが、いつも先に立ちはだかる。

キーボードで書いていて一番気持ちがいいのは、画面を見ずに打てているときだ。指が勝手に動いて、頭は何も考えていないような状態になる。文章が「考えて書かれたもの」ではなく、「出てきたもの」になる感覚がある。ただ、そのまま書き続けていると、だんだん肩が重くなってくる。楽な書き方と、身体への負担は、なぜか同時にやってくる。

結局、いつもMacBookのキーボードに戻ってくる。特別に優れているからではない。普段使っている道具だからだ。外付けキーボードを足すことはできるけれど、準備や配置を考え始めた瞬間に、書くリズムが途切れる。その中断のほうが、実は致命的なのだと思う。

肩こりと文章の質の関係はよく分からない。そもそも肩は常に凝っている気もするし、出来の悪い文章を身体のせいにしているだけかもしれない。それでも、入力方法が思考の出口であると同時に、身体の使い方そのものだという感覚だけは消えない。

もし入力方法を一つ奪われるなら、自分らしさを失うのが一番つらい、と言いたいところだけれど、正直に言えば、自分らしさなんて最初から持っていない。速さと楽しさなら、速さを奪われるほうがきついと思う。楽しさを感じながら書いた記憶は、ほとんどない。

たぶん本当に怖れているのは、入力方法の問題じゃない。文字を書く価値そのものが下がっていくことだ。雑に書いて、雑に流して、それで平気になってしまうこと。その兆しが、自分の中に見えるのが嫌なのだ。

この文章を十年後に読み返したら、まだ同じところで迷っているな、と思う気がする。それでも、迷っているという事実だけは、今の自分にとって手放したくない。そのものが楽しい、という感覚は、速度とは別の価値として確かに存在している。

数年に一度、なぜかキーボードが欲しくなる。
評判の良いものを調べて、実際にいくつか試してみる。
けれど最終的には「やっぱりMacBookのキーボードでいいんじゃないか」という結論に戻ってくることが多い。

そして今、こうしてブログを書いているのもMacBookのキーボードだ。
今回は少し大きめのサイズを使っているのだけれど、横幅が少し広いだけで、こんなにも打ちやすさが変わるのかと改めて気づいた。キーの配置や指の移動距離は、思っている以上に体感に影響している。

長年、キーボードに向かって文字を書き続けてきた結果、肩こりの原因の一部になっているのも事実だ。入力方法は、思考の出口であると同時に、身体の使い方そのものでもある。

速さだけを取るのか。
書く楽しさを残すのか。
身体への負担をどう減らすのか。

音声入力、内蔵キーボード、外付けキーボード。
どれが正解という話ではなく、これからの時間の使い方に合わせて、もう一度ちゃんと考えてみてもいい頃なのかもしれない。

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