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2015/04/17アバター

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田中 久重(たなか ひさしげ、寛政11年9月18日(1799年10月16日) – 明治14年(1881年)1月11日)は江戸時代から明治にかけて「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と呼ばれ活躍した日本の発明家である。筑後国久留米(現在の福岡県久留米市)生まれ。芝浦製作所(後の東芝の重電部門)の創業者。

田中久重 – Wikipedia

 


■ 江戸からくりの最高峰・弓曳童子の製作者「田中久重」 

さて、「弓曳童子」の産みの親である江戸末期の科学技術者・田中久重は一体どんな人物であったのか、ここにご紹介いたします。

田中久重は、江戸時代末期に筑後国のべっこう細工を家業とする家の長男として生まれた。べっこう細工は、そのほとんどに金属細工がほどこしてあり、べっこう細工職人=金属細工にも長けた職人でもあった。後の精密機械の製作にも通じる金属細工の技術に、久重が幼い頃から接することができた点が、少なからず彼の進む道に影響を与えたようだ。
久重の子どもの頃のエピソードとして、硯箱に容易に開かない鍵を細工したという話が伝えられている。既にこの頃から、後に彼が「からくり儀右衛門」と呼ばれる資質を表していたのではないだろうか。

久重と「からくり人形」との出会いは、自宅近くの五穀神社の例祭だったと言われている。からくりの仕組みに魅せられた久重は、自らのからくりを考案・作成し、いつしかそのことが町人に知られるようになった。彼が「からくり儀右衛門」と呼ばれるようになったのはこの頃からのようだ。
久重が生まれた頃には細川半蔵の『機巧図彙』*といったからくりの教科書とも呼べる書が既に出版されていた。また庶民の娯楽として、からくり興行師が町々を渡り歩いている時期でもある。このような日本独自のからくり人形に触れる機会が多い時代に久重が育ったことも、彼が後に「弓曳童子」などの高度なからくり人形を産み出すきっかけの1つとなったのだろう。

からくり人形の虜となった久重は、本来長男として継ぐべき家業のべっこう細工から遠のいてしまい、家業は久重の弟が継ぐことになった。家業を弟に任せた久重は、技術修行のため筑後を去り、からくり人形の技術の他、無尽灯や万年時計、後の蒸気船の開発にも関連する気砲といった技術を身に付けることとなった。晩年の久重は、日本初の蒸気船などの数々の開発に携わり、明治期に入ると、現在の「東芝」の前身となる田中製造所を設立した。

からくり人形に魅せられた「からくり儀右衛門」は、からくりの技術を追求するにつれ、様々な興味惹かれる技術と出会うことになった。その結果、元来の探究心に豊富な技術力が加わり、からくり師としての才のみならず、日本の近代科学技術の発展に大きく貢献した人物になったと言えるのではないだろうか。

参考文献:「からくり儀右衛門~東芝創立者田中久重とその時代~」(ダイヤモンド社)

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