ChatGPTに「これまで私があなたをどう扱ってきたのかを画像にして」と頼んだら、AIが主役ではない絵が返ってきた。
机にいるのは人。ノート、原稿、カメラ、コーヒーがある。
AIは少し後ろで、灯りを持っている。
昔に画像生成を試したときとは、だいぶ世界観が違った。
いい感じだった。
AIは答えを出す機械だった
前は、AIに何かを頼むとき、正解を早く返してくれる機械として見ていた気がする。
文章を書く。
アイデアを出す。
画像をつくる。
こちらが命令して、AIが完成品を返す。
画像にも、そんな関係が出ていた。
未来的な画面。
光るロボット。
人よりAIが前にいる構図。
それはそれで分かりやすい。でも、いま普段やっていることとは少し違う。
いまは一緒に試して、直して、確かめる
いまのAIとの仕事は、最初から答えを受け取る時間ではない。
記事の種を出す。
言い方を直す。
公開前に間違いを探す。
画像を見て、また言葉を変える。
うまくいかないときもある。
検索順位はまだ分からない。
画像が違うと思えば、つくり直す。
その往復を何度も重ねている。
だから今回の絵で、AIが前に立っていなかったことが自然に感じた。
決めるのは自分だ。
AIは、考えを広げたり、見落としを照らしたりする。
灯りを持つ相棒という距離
絵の中のAIは、こちらを引っ張っていかない。
代わりに小さな灯りを持ち、散らばった紙やメモの先を照らしている。
この距離が、いまの使い方に近い。
AIの答えをそのまま出すのではない。
使えそうなら拾う。違えば捨てる。足りなければ、もう一度聞く。
その間に、自分が何をつくりたいのかも少しずつ見えてくる。
昔と違うのは画像の性能だけではない
画像がきれいになったから驚いたわけではない。
自分とAIの関係を一枚にしようとしたとき、昔より具体的な場面が出てきたことが面白かった。
机がある。
書きかけの原稿がある。
朝になるまで考えた跡がある。
AIを使うこと自体が目的ではなくなった。
試したこと、失敗したこと、次に変えることを残すために、一緒に使っている。
今回の一枚は、その途中の記録になった。
次に画像をつくるときは、関係そのものを頼んでみる
「ブログのアイキャッチをつくって」だけでも画像はできる。
でも、ときどきはこう頼んでみるのもいい。
> これまで私があなたをどう扱ってきたのかを、画像にしてください。
何が返ってくるかで、AIの性能より先に、自分の使い方が見えるかもしれない。












