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目玉焼きにソースは邪道なのか。妻は醤油しか許さない

2026.06.21 · 3 MIN READ · 理解の記録

RECORD / 2026

目玉焼きにソースをかけても、ぜんぜん邪道ではない。なのに、わが家では少しだけ禁じられている。

私は目玉焼きにソースをかけたい派だ。

黄身のまろやかさに、ソースの酸味と甘みが入る。白身の焼けた端にもよく合う。ごはんも進む。かなり完成された食べ方だと思っている。

しかし、妻は醤油しか許さない。

妻の前では醤油、ひとりの朝はソース

なぜ醤油でなければならないのか。聞いても、明快な理論が返ってくるわけではない。

たぶん「目玉焼きには醤油」が、妻の中では味つけではなく常識なのだ。

育った家の食卓にずっとあった組み合わせは強い。理由より先に「そういうもの」がある。

だから私は、ひとりで食べる朝だけソースをかける。

少し多めにかける。誰にも注意されない。うまい。

自由とは、こういう小さなところにあるのかもしれない。

目玉焼きのソース派は、どこから来たのか

「目玉焼きにソース」という食べ方の発祥地は、調べてもはっきりしない。

醤油は日本で長く使われてきた調味料だ。一方、ウスターソースが日本へ入ったのは明治初期。洋食が広がるにつれて、国内でも親しまれるようになった。

つまり、目玉焼きに醤油は和食の流れ。ソースは洋食の流れ。そんなふうに家庭へ入ってきた可能性はある。ただし、これは食文化の歴史から考えた推測で、「最初に目玉焼きへソースをかけた人」はわからない。

発祥は不明でも、おいしさには理由がある。ソースには酸味、甘み、香辛料の香りがある。卵のまろやかさに輪郭がつく。合わないはずがない。

でも広島風お好み焼きは食べるじゃん

ここで私は、どうしても言いたくなる。

妻よ。広島風お好み焼きは食べるじゃん。

卵とソースは、そこで堂々と共演している。しかも、かなり仲がいい。

お好み焼きの卵にはソースを許すのに、目玉焼きになった瞬間に禁止する。その境界線はいったいどこにあるのか。

料理名が変われば、ルールも変わるらしい。食の常識は、思ったより論理ではできていない。

邪道ではなく、家庭ごとの方言なのだ

醤油、ソース、塩、こしょう、ケチャップ。目玉焼きは、何をかけても受け止めてくれる。

それなのに、自分が慣れた味だけを「普通」と思ってしまう。これは正解と間違いではない。家庭ごとの方言みたいなものだ。

妻の醤油も正しい。私のソースも正しい。

ただし、わが家の食卓では醤油の発言力が強い。

だから今日も、ひとりの朝を待つ。フライパンで卵を焼き、皿へ移し、茶色いソースをくるりとかける。

やっぱりソース、おいしいのになあ。

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